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15年が経ちました。

こんにちは。グヮタです。

今日は、もうひとつエントリーを書きます。

明日、3月20日で、三原順先生がお亡くなりになって15年になります。

代表作「はみだしっ子」をはじめ、「ルーとソロモン」「X Day」「Sons」など、白泉社文庫に多くの作品を預からせていただいています。最近、読み返す機会がありまして、改めて作品の力強さに心打たれるとともに、大きな喪失感を覚えています。

弊社には、少女期・青春期に三原作品に出会い、人生を誤った(?)人間が複数おり、それぞれの部署で日々新しい作品の誕生のお手伝いをしております。他社の編集者にも、まんが家さんの中にも、影響を受けた方が多くいらっしゃいます。ネット上には、読者の方々が先生への思いを綴った文章がたくさん存在しています。


あ、三原作品の素晴らしさをいまさら強調したくて書き始めたのではないのでした。
そんなこと、このブログを読んでいる皆さんには当たり前のことですよね。


さて。文庫各巻には、巻末解説として、同時代を過ごされた何人かのまんが家さんの文章が収録されています。その中で、「三原順傑作選 ’70s」に収められた和田慎二先生の「三原 順の旅路」という文章に、こういう一節があります。

「だが彼女の投稿作を目にする機会に恵まれた常連投稿者にとっては、いやおうなしに意識せざるを得ない作家であった。この時期にファンと敵(ライバル)を作っていったことを彼女自身は知るまい。」

「別冊マーガレット」の「少女まんがスクール」投稿時代の三原先生について触れられたこの一節を読んで、「雑誌」という器によって読者と作者が結びつき、一緒に育っていくような在り様に感動を覚えました。

ひとつ前のエントリーに書いた、最終回のこともそうなのですが、こういう、雑誌によって育まれる目に見えない連帯感みたいなものって、素敵だなと思うのです。

三原先生の「はみだしっ子」の場合でも、その作品の素晴らしさは言うまでもないのですが、「花とゆめ」に連載されていた当時の、付録だったり口絵だったり読者投稿ページだったりを通じての盛り上がりが、その時代に読者として参加された方々の心に、強い連帯感を残したように思います。

そして今、「花とゆめ」や「LaLa」の誌上では、常に新しい連帯感が形作られているのでしょう。


白泉社文庫で三原作品を読んでいただく際に、こうした雑誌掲載時の熱みたいなものを想像しながら(あるいは思い出しながら)楽しんでいただくのも、味わいがあるのではないでしょうか。


ちなみに、まだ三原作品を読んだことがない方、特に男性には「ムーン・ライティング」をオススメしておきます。私個人は「Sons」の大ファンなのですが、これは「ムーン・ライティング」の次のお楽しみ。十分慣れたら「X Day」へ。