今回は、「花街奇譚」を推そうと決めて、選考会に臨みました。最終候補三作の中で図抜けておもしろかったからです。吉原を舞台に『トワズ』の一族である気弱な主人公六助と遼天、小太郎、お澄たち稲荷隠しの面々。そして、蟻の化け物である金槌坊、勝ち気でどこか謎めいた茜。そこに美しい花魁の銀華も関わり、実に多彩な物語が紡がれるのです。わくわくしながら読み進みました。

とくに、小太郎と六助が銀華を足抜けさせる場面は、唸るほどおもしろかったです。そして、もう一つ瑞雲楼の女たちが虫に食われ、その虫たちが女の肉体の中で鈍く輝いている場面は、不気味でおぞましく、美しかったです。これはなかなかの力わざだと感心しました。

だからこそ、六助という主人公の影の薄さが気になりました。個性としてこちらに迫ってこないのです。血肉ある者としての手触りがない。まだ、作者の駒としての位置から這い出てこないじれったさを感じました。それは、作者がストーリーを展開させることに夢中のあまり、六助という人間をおざなりにしてしまったが故ではないでしょうか。そもそも、作者の中に六助がちゃんと存在していたのか、わたしには疑問でした。『トワズ』という一族とは何なのか、その能力を受け継いだがゆえに彼はどんな暮らしをしてきたのか。祖母とのかかわりは? 説明ではなくエピソードとして一つでも二つでもきちんと書き込むべきでした。それがあれば、六助にもう少し厚みが出たのではないでしょうか。ストーリーのための六助ではなく、六助が紡ぎだすストーリーを読ませてください。タイトルも一考を。

佳作の「大江戸あやかし事件録」も吉原が舞台です。吉原は確かに、華やかな舞台となるかもしれませんが、これまでも多くの作品の舞台となってきました。そこに、新人が挑むのは並大抵のことではありません。相当の覚悟と心構えがいるでしょう。この作品は、達者な妖しさも美しさも切なさもある物語なのですが、その覚悟と心構えが欠けていました。なぜ、吉原を舞台にしたのか。その意味が感じられなかったのです。そもそも、稀蝶はなぜ花魁となったのか、総一郎と稀蝶は婆巫女に育てられたのならどんな子ども時代を送ったのか、何一つ書かれていません。一介の岡っ引が将軍の顔を知っていたなんて、あの時代では到底あり得ないことなのにその説明もない。明治期の書生言葉である「僕」なんて人称が平気で出てくる。もう少し、時代小説を書く困難と格闘してください。ただ、人と人形の恋を妖しい美しさと共に書き込んだ部分には心ひかれました。

「時計師の休日」は、時計師という仕事には興味をひかれました。おもしろい着眼です。でも、それ以上のものには感じられませんでした。もう少しテンポよくストーリーを前に進めるべきです。持って回った表現や蘊蓄を捨てて、すっきりとした文章を書こうと努力してみてください。